―演者のご紹介―

江州音頭 真鍮家一門と
豊郷町江州音頭保存会

ごうしゅうおんど しんちゅうやいちもん と
とよさとちょうごうしゅうおんどほぞんかい
江州音頭
  ごうしゅうおんど
江州音頭とは
江戸時代末期(文政12年ころ)山伏姿の祭文語りの芸人(中山道沿いの武蔵国万宝院の山伏 )桜川雛山が「祭文」を広めました。

武蔵国榛原郡岡部村(現:埼玉県深谷市)の住人で、その教えを受けていた歌好きの板前の寅吉(西澤寅吉)は当時流行していた念仏踊りや歌念仏を取り入れて『江州八日市祭文音頭』を作り上げます。これが現在の江州音頭の始まりです。

寅吉のもとで祭文音頭を修行していた真鍮鋳物細工が稼業の奥村九左ヱ門(後の真鍮家の初代好文 : 天保14年生)が音頭を語り、共に協力し、盆踊りに合う音曲に仕上げました。こうして親子のほど歳の差のある2人の人物によって「江州八日市祭文音頭」が仕上がり盆踊りとして県内外に定着。
明治初年板前寅吉は「八日市祭文音頭」の完成をもって、師匠の芸名である「桜川」をもらい「桜川大龍」を名乗り後に数々の一門に発展。奥村九左ヱ門は稼業の家号である「真鍮」を芸名に「真鍮家好文」を名乗り現在へと受け継がれています。

また、江州音頭の音頭(歌)の発祥は「八日市」、踊りの発祥は「豊郷」と言われています。
豊郷町にある千樹寺は織田信長の軍勢に焼き討ちされましたが、天正16年に地元の有力者により再建されたことを祝い、境内で盛大な手踊りが行われ、毎年の恒例行事として実施されるようになりました。火災により、焼け落ちる災難などもありましたが、有力者の家財を投じ再建し、その供養時に華やかな傘や扇子を用いた観音踊りが奉納され、後の江州音頭へ繋がりました。
近江商人の心意気が伝わるお馴染みの手踊りと、時を超えて受け継がれる傘踊りが魅力です。