―演者のご紹介―

冨田人形共遊団

(とんだにんぎょうきょうゆうだん)
関西伝統文化フェア
とんだにんぎょうじょうるり
冨田人形浄瑠璃とは
天保6年(1835年)興行の途中の阿波(徳島)の人形芝居の一座が冨田で雪に降り込められその地に留まることをを余儀なくなります。
一座は、帰国の旅費を作るために人形等を置いていき、そのこれをひき取りに来なかったので、冨田の芝居好きな青年が人形をつかったことが冨田人形のはじめといわれています。

天保15年(1844年)から嘉永4年(1851年)にかけて、大阪の「吉田金吾」という人形の名指導者であり、かしら彫の名人が冨田に来て、人形座『吉田座』と称して近隣の寺社や祭礼に招かれ公演活動を行っていました。
明治7年(1874)には滋賀県から興行の許可を受けて独立、昭和32年に滋賀県無形民俗文化財に選択されました。
4代、5代と父子相伝のうちに歳月を重ね、郷土の誇る民俗芸能として独特の風格を備え、「冨田のデコ」として愛好されてきました。

演目
冨田人形浄瑠璃
しきさんばそう すずのだん
「式三番叟」 鈴の段
二体の三番叟の人形が連れ舞い、鶴の舞い、鶴亀の舞いがあり、鈴をもって舞台四方に種蒔きのしぐさがあったり、豊年、延命長寿を祈願するお祝いの歌舞です。
だんだん舞いも激しくなり、やがて一体が疲れて休もうとすると、引き取とどめて『いっしょに踊ろう』と励まし、最後まで舞い納めるユーモアあふれる演目です。
曲のトウトウタラリ・・というのはチベット語で五穀豊穣、悪魔退治の意味があり、演技がよいものとして多くの場で上演しています。
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冨田人形浄瑠璃
けいせいあわのなると
「傾城阿波の鳴門」 巡礼歌の段
近松門左衛門の作品を近松半二、武田文吉らが改作し、明和5年(1758年)大阪竹本座で初演、浄瑠璃の本場阿波(徳島)では、人形浄瑠璃といえば誰でもが『あわなる』と上げるよう定番中の定番です。
徳島藩のお家騒動に絡み、隠れ身となっている母親「お弓」の元にはるばる故郷から巡礼姿の娘「お鶴」が訪ねてきますが、親子の名乗りをするべきかを煩悶し、苦悩します。親子の再開と別離の切ない物語です。
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当日の様子(Youtubeへリンク)

2022年12月4日(日)関西伝統文化フェアin滋賀
2023年3月5日(日)関西伝統文化フェアin兵庫


  とんだにんぎょうきょうゆうだん
「冨田人形共遊団」について
昭和54年(1979年年)、滋賀県長浜市北冨田に居住する人を中心に市内外の人形を愛好するメンバーにより新生「冨田人形共遊団」として再発足。
人形遣い、三味線弾き、語りの太夫の3業を日々稽古を行い、人形浄瑠璃の保存伝承に励むと共に、地元の小中学生や地域住民、はては海外からの学生を迎えてサマープログラムとして後継者の育成、文化の国際交流にも努めています。

平成6年(1994年)ニュージーランド公演を皮切りにアメリカ22州、ドイツ、ロシア等15回の海外公演をこなし、滋賀県の誇る伝統芸能の紹介にも貢献しています。

こうした活動により、昭和62年「滋賀県文化奨励賞」、平成6年「ブルーレイク賞」、平成15年滋賀県文化功労賞」、平成27年「伝統文化ポーラ賞地域賞」、令和元年「サントリー地域文化賞」、令和2年「滋賀県文化賞」、令和4年「全国地域統芸能大賞」など数々の栄誉にも輝きました。